私的な散文

私的な散文を徒然に綴っていきます

病院幻想交響曲 黄昏の悲哀と至福その1

手術を控えて、外科病棟に移された。
手術前の患者は比較的元気な人、疾病で弱っている人、様々である。
術後の患者は一様に寝たっきり、回復の早い人は翌日には自力でトイレに行ける迄回復する。
呼吸器循環器外科主体の病棟なので、若い人は居ない。
年老いた人ほど回復が遅くなる。

私の隣のYさんは曾孫が5人いるらしい。
80代後半であろう。
教養のある紳士のような話っぷり。
前立腺癌で10日程前手術をしたらしい。
緊急手術で直前迄血液をサラサラにする薬を飲んでいたらしく、術後出血が止まらず、陰嚢に血液が溜まっているらしい。
トイレは自力では難しく、紙おむつを使っている。
その始末を若い看護師にして貰い、「もう、こんな事までして貰ってすいませーん。」
恥入るような声。

「○○ ○○」「○○ ○○」と自分の名をゆっくり唱え、「あぁー」と溜息をつく。
若い頃は矍鑠とした人物であったろうYさんにとっては相当の恥辱に思えるのかも知れない。
そんな時は、Yさんから濁ったオーラが出るので良く分かる。
そして、お尻や陰部を洗って貰う時も。

看護婦を看護師に呼称変更したのはいつ頃からだったろうか?
男女の雇用機会均等と言うことであろうが、私は看護師は女性の仕事と思う。
看護婦という言葉が職業に対する一部侮蔑的な(医師のような知識技術のない、その下働きをする者というような)意味合いを含んでいると感じるのだろうか。
どうもその様なところもあるようだ。
出産という機能を与えられた女性は男性よりももっと深い部分で生命と係わり、それに対する愛、慈悲といった知性的感情が豊かなはずである。

相手が若い男性の看護師であれば、Yさんは自意識少なく受け入れただろうか。

誇り高く知性豊かなYさんのオーラは歓びとともに現れる。
「体温が37度代になりましたよ。」と告げられた時、「あー良かった!」
食事を摂れるようになった時、「あー美味しい!」
その様な時、紺色と金のオーラが出て、特に金色が強く輝く。
Yさんから、濁ったオーラが最も発せられたのは、トイレに自力で行って、粗相をし、トイレを掃除して貰った事、裸になって、体を拭かれた事を家族に告げた時だった。