私的な散文

私的な散文を徒然に綴っていきます

偏執狂

斜め前のベッドにHがいる。
B型肝炎のようだ。
主治医が手術の方針を話しにくる。
そっちのけで自分のことを喋りだした。
「私はここ50年、医者にかかったことがないんです。先生と今回こうして巡り会いましたが、次に会うのは私の死亡宣告をして貰う時でしょう。  
ところで、私は死亡したら早急に献体して貰うように手続きしていますが、B型肝炎でも受け入れてくれるんでしょうか?ホルマリン漬けで何年くらい持つんでしょうか?
10年くらいでしょうか。」
主治医「その辺の事は私はよく分かりません。」辛抱強く聞いている。
「今献体は充分あるんでしょうか?」
主治医「学生の解剖実習に使うときは4人に1体という感じでしょうか。」
「やはり不足しているんですね。私の兄の時は2人に一体だったそうです。  例えば事故があって救急車で患者が運ばれるときは、あなた達は揺れる車の中で、正確な処置をしないといけないでしょう。その時処置を受ける患者の身になってみれば、より多くの練習を積んだ先生に処置をして貰った方がより安心できると思うんです。だから、私の身体を是非とも使って欲しいのです。
こういう文章を書きましたが、モラル違反は分かってますが、読んでみて下さい。  先ず下の注意書きから読んで貰わないと分からないと思います。αファイルといいまして、私の考えを書いたものです。」
Hは手術に臨む覚悟を書いた文書らしき物を主治医に渡す。
さっきは看護師に渡していた。
「さて本来の話に戻しましょう。」主治医はシビレを切らせて手術の説明をし、グダグダ言っているHに今日はゆっくり寝て下さいね・・・と言ってそそくさと帰る。
一時して、麻酔医が実習生を連れて、お礼の挨拶にくる。
「麻酔の実習生の気管挿管実習に協力頂くということでありがとうございます。」
そこでまた、一講釈始まる。
「皆さんの医療技術のために私の身体が役に立つなら、こんな幸運なことはありません。これだけが私が社会に貢献できる方法なんです。」
紳士的な滑舌の良い話っぷりだ。
しかし、献体に偏執した話の内容を聞くと、死を恐れているのではないか・・・と感じる。
誰でもB型肝炎で手術となると死を思い、恐れるのは仕方のないことだが、Hの場合は過去行った罪を自覚していて、その免罪符として献体を声高に周囲に知らしめているとしか思えない。
つまり、地獄に堕ちることを無意識の内に恐れているのだ。
献体することで救われる・・・甘いぞH!
人間産まれて生きる、それだけで原罪を背負っている。
どのような罪を犯したのか知らないが、誰でも一度は地獄に堕ちるのだ。
私は性善説性悪説どちらでもない。
人は誰でも善悪の二面性を持っている。
この世を二元論が支配するように。
人は自然の命を糧として生きる存在だ。
甘んじて罰を受くべし!きっぱり!!!
イクスクラメーションマーク3連発が決まった。